2009.2.7 西春町史跡巡りウオーク&国府宮はだか祭レポート
(平成21年2月7日(土)天気:晴れ) (今日の歩数:27397歩)
一宮友歩会の第18回ウオーク例会(史跡巡り・東尾張Part2)(西春町)13km
コースは、名鉄西春駅−宝円寺−松林寺−物語の広場−雲太寺−林證寺(昼食)−アートエリアロード−
−浅野長政公誕生地−下津城址−ゴール(JR稲沢駅)−−国府宮はだかまつり見学−名鉄国府宮駅−帰宅
※この日は稲沢市の尾張大國霊神社(国府宮)ではだか祭があり、神社には11660人の裸男が参集。
また、192000人の参拝者が訪れた。願い事を書いた布をつり下げた儺追笹を担いだ裸男達約100グループ
の笹奉納に続き、注目の儺追神事が行われる。午後5時すぎ祭主役の神男加藤さん(29)が参道に登場すると
体に触れて厄を託そうと押し寄せる裸男たちの群れをかき分け、神男は40分ほどかけて儺追殿へ到達した。
(中日新聞8日朝刊) (★なお、下記あらまし参照)
※はだかまつり(旧暦正月13日開催)の詳細は稲沢市観光協会をご覧ください。
★北名古屋市 ★北名古屋市歴史民俗資料館 ★稲沢市観光協会 ★稲沢市 ★友歩会
宝円寺と日限地蔵尊(友歩会参照) |
宝円寺住職の説明があった |
松林寺(1592年創建)北名古屋市指定文化財がある |
松林寺にある伊吹木(根回3.3m)市指定文化財 |
松林寺の銀杏(根回3.8m)市指定文化財 |
亀甲竹(孟宗竹の変種)市指定文化財 |
林通勝邸址(信長に追放された) |
物語の広場で休憩(道路際に根尾淡墨桜があった) |
雲太寺の釈迦涅槃図 本堂には円空仏もあった |
雲太寺開山堂の天井画130点 (H15〜18年名古屋芸大日本画科卒業生の作) |
北名古屋市指定文化財の阿弥陀如来像 |
昼食会場の林證寺(市指定文化財あり) |
アートエリアロードの芸術作品 (芸大北側の市道1.5kmに設置) |
市道の他県道沿いの歩道や文化勤労会館など にも(計41基)設置されている(H20.11.9付中日) |
浅野長政公生誕地の石碑 |
学校西側の歩道では早咲の桜が見られた |
国府宮はだか祭に奉納される儺追笹(なおいざさ) (願い事を書いたなおいぎれが結んである) |
下津城(鎌倉街道の宿場として栄えた)址の説明 本郭、二の郭、三の郭とあり大規模だ。 |
ゴールのJR稲沢駅 |
JR稲沢駅前(西口)で気勢を上げるはだか男たち |
国府宮神社へ奉納に向かう(東側>国府宮) |
歩道の見物客(JR稲沢駅から国府宮へ向かう) |
国府宮神社参道を行く |
参道に集まったはだか男たち |
夕方4時30分頃の神男の登場を待つ |
儺追笹を奉納する(中央) |
参道を埋めたはだか男達と見物客 |
儺追笹(白布で巻かれている)を奉納する |
各地から集まってくるはだか男達(西側>国府宮) |
鳥居前は人々でごった返す |
とき /平成21年2月7日(土) ところ /尾張大國霊神社(国府宮) <起 源> 「はだか祭」は、正しくは、「儺追神事(なおいしんじ)」と言います。今から約1240年前、 奈良時代の神護景雲元年(767年)称徳天皇が、「全国の国分寺に悪疫退散を祈れ」と勅命を発し た時、尾張国司が尾張総社である尾張大國霊神社で厄払いをしたのが、儺追神事となって現在まで伝 えられています。 目立つ節分行事が近在に無かったせいもあり、春を呼ぶ形で定着したこの神事に、裸の寒参り風習 がドッキングして、現在の祭りになったのは、江戸時代末期のことです。裸の激突という形態は昔、 いやがる人を神官が取り押さえ、捕まえてきて儺負人(なおいにん・神男)に仕立てた、そのもみ合 いを受け継ぐものとされています。 <祭 り> ●旧暦正月13日 [平成21年は2月7日(土)] 42歳と25歳の厄年の男を中心に、尾張一円から、サラシのフンドシ、白足袋をつけただけの数 千人の裸男が集まります。寒さを吹き飛ばす「ワッショイ」の掛け声と、もみ合いの熱気が国府宮神 社にはちきれます。裸男たちは、群れをなし、威勢よく「なおい笹」を捧げ、拝殿へ駆け込みます。 これは、裸になれない老若男女が、年齢等を書いて祈念を込めた布(なおいぎれ)を結び付けた青竹 を、裸男が身代わりとして担ぎ込み厄除けを祈願するのです。 午後4時30分頃、参道の一角に素っ裸の神男(しんおとこ)が、一団に守られてひそかに登場し ます。見つけた裸男たちが「ウォーッ」と殺到し、神男に触れて厄を落とそうと凄まじいもみ合いに なります。浴びせられる手桶の水は、体熱でたちまち湯煙となり、水にひるむスキをついて、神男の 一団がジリジリ儺追殿へ達するまでの約30分間がこの奇祭のクライマックスです。 |