2011.3.05 健康づくり(萩原町史跡巡り)ウオーキング
(平成23年3月05日(土)天気:晴れ) (今日の歩数:20,156歩)
★一宮市観光協会ホームページ ★一宮市ホームページ ★一宮市博物館
萩原公民館前で受付 Am8:18 |
舟木一夫生家跡 9:14 |
万葉公園高松分園 008 |
万葉公園へh23hagi009 9:40 |
河津桜の説明 |
一部では咲いていた 012 |
013 |
河津桜の説明 016 |
しだれ河津桜(★拡大) |
日光川沿いに歩く |
孝子佐吾平の碑を見る |
天神の渡しの説明(★拡大説明) 034 |
土地改良の碑 |
美濃路萩原宿本陣跡の碑 |
美濃路萩原宿問屋場跡 |
正瑞寺、石の梵鐘 |
正瑞寺本堂 |
石の梵鐘(上記説明文) |
美濃路萩原宿は現在商店街となっている |
★★佐藤一英 作詞(萩原中学校校歌及び 愛知県立尾張病院の歌)★★ (萩中はわが母校です。) ★★郷土の詩人佐藤一英を訪ねて (20Kmウオーキング)★★ ★★平成21年1月11日の萩原町ウオーキング Top |
高松分園案内板 Top |
しだれ河津桜 Top |
天神の渡し Top |
佐藤一英氏 Top 明治32年(1899年)10月13日〜昭和54年(1979年)8月24日(79歳) 愛知県中島郡祖父江町下丸渕山新田、佐藤源兵衛方で生まれる。父は広三郎(萩原町高松本郷) 一英氏は、故郷をこよなく愛し、一宮、尾西、など尾張部の学校の校歌、社歌、病院歌、青年団歌 にも多くの詩を残しており、今回の歌曲集には四十四曲の作品が掲載されている。 ('91,11,3一宮タイムス)「佐藤一英歌曲集(ふる里のうた)」紹介文 上記の校歌のうち6校の校歌のマップです。 (萩原小、萩原中、朝日西小、朝日東小、万葉保育園、萩原保育園) 早稲田(わせだ)大学英文科予科中退。予科時代、吉田一穂(いっすい)、中山義秀 (ぎしゅう)、横光利一(りいち)らと知る。 菊池寛(かん)論『軽さと重さ』(1919)によって注目されたが、のちに春山行夫(ゆきお) らと詩誌『青騎士』を創刊。 また『文芸時代』『詩と詩論』『新詩論』などに精力的に詩、評論を発表。 おもな詩集に、若々しいロマンチシズムに彩られた処女詩集『晴天』(1922)、 『故園の莱(あかざ)』(1923)、『魂の楯(たて)』(1942)などのほか、 第二次世界大戦後の時代状況を歌った『乏しき木片』(1947)、『幻の鐘』(1948)などがある。 新韻律詩を実践提唱したことでも知られ、『新韻律詩論』(1940)がある。 (Yahoo!百科事典) Top |
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一宮市立 萩原中学校校歌 佐藤一英 作詞 森 一也 作曲 昭和33年3月11日制定 「佐藤一英歌曲集(ふる里のうた)」より 1、その名もゆかし 萩原の 土にわれらは産まれけり 照る日のめぐみ 身に浴びて 群れ咲く花の「生」を識る ああ われら萩原の子よ 2、中島宮の あとどころ 伝えいかしき 石文に いにしえ人の 心読み みなもと遠き「生」を識る ああ われら萩原の子よ 3、伊吹の風に よみがえる 土のいのちの 尊さよ そのことわりを 胸に彫(え)り こころ根深き「生」を識る ああ われら萩原の子よ |
佐藤一英作詞「愛知県立 尾張病院の歌」 大中 寅二作曲 昭和33年6月制定 1、ミタケ、ノリクラ、ヤリ、ホダカ 遠い垣根の山々よ ああ広い野の護り手よ その身をつつむ白雪の 聖心(ひじりごころ)をわれ学ぶ 日毎白衣をまとう身は 2、木曽の流れの隅もなく 野べを内外うるおして土のいのちはよみがえる しずかに止まぬその力 日毎病む子の手をとりて 3、花咲く道のそのはては 黄金みのりをつげる道 病む子の道は同じ子が あした明るく笑う道 尾張の道の美しさ 尾張病院光る道 4、広い平野の広い空 伊吹山(いぶき)いでくる白雲よ 空のまことの伝え手か 白鳥の羽と変る見て 幸よぶすがたわれ学ぶ ひろい心を ねがう身は |