現地見学・美濃路ウオーク・2012.11.24・参加レポート
(平成24年11月24日(土)天気:晴れ) (参加者20人)(今日の歩数:28,758歩)
平成24年11.24、タルイピアセンター第47回企画展関連企画として「美濃路ウオーク」が開催され、参加した。
「美濃路とは、中山道垂井宿から、大垣・墨俣・起・萩原・稲場・清須・名古屋の7宿を経て、東海道宮宿(熱田)
へと続く全長14里24町(約58km)余りの街道。中山道に付属する脇街道として幕府の道中奉行の支配下に
置かれた道です。佐渡川(揖斐川)・墨俣川(長良川)・境川(小熊川)・起川(木曽川)に渡し場が設けられ、
将軍や朝鮮通信使などの通行の際には、いくつもの船をつなげて作られた「船橋」が架けられた。
美濃路の原型は鎌倉街道と考えられており、又、関ヶ原の合戦において、徳川家康が凱旋した道でもあること
から、江戸時代には「御吉例街道」とも呼ばれた。
美濃路は東海道の鈴鹿峠や伊勢湾を渡る「七里の渡し」のような難所が比較的少ないため、朝鮮通信使や
琉球使節などの外国使節、象などの珍獣、権威を誇った大名行列や御茶壷行列などの特殊な通行が頻繁に
行われる道となっていった。」・・・開催当日資料から引用。
@午前8時30分自宅出発>JR大垣駅〜垂井駅・受付集合10:00出発>追分通過(中山道・美濃路追分・道標)>
>垂井の松並木>綾戸古墳〜岡田将監塚>六社神社>平林荘、谷汲道道標>静里小学校、久徳一里塚>
>塩田の木製常夜灯>西公園(昼食)>船町道標・港跡〜奥の細道結びの地周辺>全昌寺>大垣宿本陣跡>
>大垣宿問屋場跡>大垣宿高札場跡>大垣城東惣門跡(名古屋口門跡)>JR東海道線大垣駅着16:00>帰宅
★中山道垂井宿観光マップ★
★垂井町ホームページ★垂井ピアセンター★羽島〜垂井・美濃路ウオーキング(平成21年10月31日)(参照)
★美濃路マップ(下記参照)★美濃路探策(HP)★垂井町観光ガイド★美濃路(大垣宿)(HP)
JR垂井駅で10時の出発を待つ002 |
JR垂井駅から北西、現在の中山道004 |
垂井の追分道標(左:中山道、右:美濃路)011 |
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道標(是より右東海道大垣みち・左木曾街道たにくみみち)012 |
美濃路沿いで唯一残っている松並木018 |
追分道標は宝永6年(1709)、奥山氏によって中山道と美濃路の分岐点に建てられた。(高さ1.2m×巾0.4m)tomw013 |
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美濃路の松並木023 |
コモを巻いて冬支度025 |
美濃路沿いの見事な黄葉026 |
綾戸古墳(円墳:蘇我氏の祖先武内宿禰の墓と伝える)033 |
綾戸古墳は直径32m地名に残る「綾」は渡来系の人々の説 もある。w030 |
熊坂長範は平安末期の盗賊w031 |
武内宿禰(すくね)の墓の石柱032 |
六社神社(綾戸の村社)でトイレ休憩041 |
岡田将監塚にある巨古木t034 |
岡田将監の石柱碑t035 |
岡田将監塚の説明tomw036 |
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南宮大社旧石鳥居(谷汲道で谷汲参拝者の為の鳥居)047 |
谷汲道道標(北へ進めば赤坂から谷汲巡礼街道に通じる)049 |
左:美濃路、右:谷汲道052 |
久徳の一里塚054(瓊瓊杵神社側にもあった) |
瓊瓊杵神社057(祭神は瓊瓊杵尊で「ににぎのみこと」)(昼食) |
静里町塩田の常夜燈064 |
静里町塩田の常夜燈t060 |
w061 「概要」 杭瀬川旧塩田橋の河畔にあるこの常夜燈は明治13年 (1880年)の建立。この付近にはかつて塩田湊があり、 生活物資や石灰などの運搬が頻繁に行われ賑わってい ました。 この塩田湊に出入りする船の安全を見守ってきたのが この常夜燈です。 またこの常夜燈は伊勢神宮の遙拝所となっています。 指定番号:14号 指定日 :平成22年10月1日 住 所 :静里町1731-2 内 容 :塩田の常夜燈<市重要有形民俗文化財> ★大垣市景観遺産参照塩田の常夜燈 杭瀬川にかかる塩田橋の西側にある。ここに塩田港 があった。船附、赤坂と三大港の1つ。 |
杭瀬川を渡る066 |
静里町塩田の常夜燈067 |
奥の細道結びの地に到着 072 この道路東側に新しく芭蕉記念館が出来た。 |
美濃路添いの★水門川ではたらい船の企画があった 078 |
水門川の歴史 w074 水門川は、大垣市から南流し揖斐川に合流する運河で、永禄4年 (1561)大垣城主氏家直元が、城池改築のとき開堀したと伝えられ る。 江戸時代におよび大垣十万石藩主戸田氏鉄により改修され、この 地方に集散する貨客の水運は産業の振興とともに発展し、大垣と 桑名・三河間の物資や人の輸送に大変な賑わいを見せていた。 又、文化の興隆に大きく貢献した。当時は多量の自噴水が水門川 に注ぎ、清らかな流れを見せアユ、ハエなど清流魚が泳ぎ回り、久 しい歴史の中に庶民生活と結びつき、広く親しまれ育まれてきた。 なお、この川は、大垣城の外堀として幾多の攻防の歴史に秘めら れた物語も多く、沿線一帯には今もなお奥の細道結びの碑、住吉 灯台など歴史や文化財が多く残され、水と緑の調和の中に、詩情 豊かな潤いのある風情をたたえている。 右の写真「谷木因俳句道標」(貞享年間1684〜1688建立)には、 「南いせ くわな 十りさいごうみち」とある。 |
芭蕉の友人、谷木因俳句道標080 |
★水門川における”たらい船”案内081 |
全昌寺内にある小原鉄心の墓の説明w083 |
曹洞宗 全昌寺 086 |
小原鉄心等小原家の墓(全昌寺内)084 |
美濃路の船町道標(左江戸道 右京みち)089 |
たらい船が賑わっていた090 |
美濃路に面した大垣城西総門跡の碑093 |
江戸の植物学者 飯沼慾斎邸跡094 (Wikipedia) 飯沼 慾斎 (いいぬま よくさい) 天明2年6月10日 (1782年7月19日) - 慶応元年閏5月5日 (1865年6月27日)) は、江戸時代の医家で 本草学者。 「リンネ」の植物分類法 を最初に採用した草木図 説を出版した。 伊勢国亀山(現三重県) 出身。 |
美濃路にある柿羊羹の老舗095(★Web参照) |
★大垣宿本陣跡098 |
美濃路大垣宿案内大垣宿本陣跡の札には次のようにある。 「本陣は、宿場のほぼ中央に位置し、お大名や宮家・公家・幕府役人などの貴人が利用した休泊施設である。 大垣宿本陣は、永禄の頃沼波玄古秀実が竹島町を開き、はじめて本陣を創立したと伝えられる。以後、本陣役は、宝暦五年(一七五五年) には玉屋岡田藤兵衛が勤め、天保十四年(一八四三年)には、飯沼定九郎が問屋を兼ねて勤めた」 「明治天皇行在所跡明治11年(1878)10月22日明治天皇は、東海・北陸御巡幸の帰途、美濃路大垣宿の旧本陣飯沼武右衛門邸に泊まられた。 飯沼邸は往還に沿って南面し、主屋には上段の間・下段次の間・家老の間・台所等の諸室が配され、なかでも明治天皇が泊まられた 『上段の間』は、奥庭に面した書院造りの大変風格のある8畳間であった」(Web参照) |
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美濃路の大垣宿問屋場跡w102 |
本町道標(左江戸道 右京道)104 |
美濃路大垣宿脇本陣跡t105 |
高札場跡107 高札場は、幕府からの禁制や通達を掲示する場所で、明治6年 (1873年)に廃止された。 大垣宿解説(wikipedia) 大垣宿(おおがきじゅく)は、美濃路の宿場である。現在の岐阜県 大垣市にある。 大垣宿は大垣藩の大垣城城下町でもある。このように宿場町であり 城下町である場所は加納宿等がある。 大垣宿は西口〜東口までの長さは約2.9km、京口門(西総門)〜 名古屋口門(東総門)までの長さは約1.1kmあり、大規模な宿場町 であった。京口門と名古屋口門は有事の場合、大垣城の7箇所の門と 同時に閉鎖される仕組みであった。 現在の大垣市の地名でいうと、伝馬町〜本町〜竹島町〜俵町〜船町 〜久瀬川町が該当する。 大垣市はかつての大垣宿の歴史・文化を利用した景観まちづくり を策定している。 |
東総門(名古屋口門)説明tomw110 | |
美濃路・大垣城名古屋口御門跡 111 |
水門川 (貴船神社北)113 |
★中山道垂井宿観光マップ(東の見附・相川西) ★Topへ |
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★ 以下の資料や画像は、2009年(平成19年10.31)の時のもの(羽島「大垣」→垂井)です。(参照) ★Topへ
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美濃路マップ (★Web美濃路参照) (★鎌倉街道参照) ★Topへ 垂井〜大垣=10.5km 大垣〜墨俣=8.0km 墨俣〜起=9.7km 起〜萩原=3.9km 萩原〜稲葉=5.9km 稲場〜清洲=5.9km 清洲〜名古屋=7.9km 名古屋〜宮宿=5.9km 合計57.7km ★ 以下の画像は、2009年 (平成19年10.31)の時のもの (羽島「大垣」→垂井)です。 (参照) ★Topへ |
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大垣、三塚の一里塚跡 066 (美濃路には13ヶ所の一里塚が設けられた。) ★美濃路マップ |
大垣宿 068 別名「水都」とも呼ばれ木曽三川 による水運と陸上交通の発達で城下町、宿場町 として発展。芭蕉をはじめ多くの旅人が往来した。 |
本町道標(左江戸道 右京道) 072 往時の美濃路が偲ばれる。 |
大垣宿本陣跡(明治天皇行在所跡) 076 (現在は竹島会館) |
船町道標(左江戸道 右京道) 081 往時の美濃路が偲ばれる。 |
船町港の住吉灯台(運河の水門川沿) 087 県指定史跡で大垣のシンボル |
奥の細道結びの地石標 092 松尾芭蕉(1644〜1694)ゆかりの水門川船町港跡や 奥の細道結びの地記念館などがある。 |
塩田の木製常夜灯 100 杭瀬川にかかる塩田橋の西側にある。ここに塩田港 があった。船附、赤坂と三大港の1つ。 |
久徳の一里塚の榎 102(1604年) 美濃路には13ヶ所の一里塚が設けられた。 |
垂井の松並木 109 美濃路の松並木は町の保存会により保存されている |
中山道・美濃路の追分道標 113 1709年垂井宿の問屋奥山文左衛門建立。「是より右 東海道大垣みち左木曾街道谷汲みち」と刻まれた 自然石の道標があり、250余の道標中7番目に古い。 |
中山道垂井宿標識 119 垂井宿は中山道の宿駅であると同時に美濃路の起点 中町に本陣、西町に脇本陣があった。 東町には当時の旅籠亀丸屋が現存している |
朝倉運動公園(ゴール) 120 |
美濃路街道交流物産展(一宮市観光協会)13:56 |
ふれあい垂井ピア2009会場テント14:34 126 |
ふれあい垂井ピア2009会場イベント14:35 128 |
ふれあい垂井ピア2009会場イベント14:41 132 |
垂井の泉 15:16 139(垂井駅まで歩く) |