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’08.06.28 第15回友歩会例会 岐阜編Part1 
(平成20年6月28日(土)天気:曇り) 8月2日(土)コースの下見(鷺山サギヤマ68m)

JR岐阜駅(9:00)>玉宮通り>劇場通り>アクアージュ柳ケ瀬(水路)>美江寺>濃姫の墓>忠節橋>鷺山
>森田草平生誕地>道三塚>岐阜メモリアルセンター>高橋尚子ロード・モニュメント>川原町の古い町並み
と鵜飼舟>岐阜公園(信長居館跡案内所)>岐阜大仏>橿森神社(橿森公園・信長神社・楽市楽座の地)・解散
>柳ケ瀬>帰宅(今日の歩数:30,887歩)
・・・梅雨空の曇天の中、爽やかな風があってウオーキングにはかえって好都合でした。(^^)!

ウオーキング関係はこちらです。

岐阜市観光案内岐阜県岐阜市岐阜公園周辺マップ斎藤道三鷺山城址ブログ参照


鷺山城(さぎやまじょう)は、現在の岐阜県岐阜市にある、平安時代末期、鎌倉時代 - 戦国時代の城。
標高68mの鷺山の山頂にある。戦いの為の城ではなく、住居としての城であったといわれている。
Wikipediaによると、鎌倉時代の文治年間(1185年 - 1190年)、佐竹常陸介秀義が築城。
室町時代、美濃国守護大名である土岐氏の城となるが、1353年(文和2年)に川手城が築城されると、鷺山
城は重要視されなくなり、次第に衰退。
永正年間、土岐頼芸が鷺山城を再興し、後の土岐氏第11代として川手城に入るまで居城とする。
1530年(享禄3年)、斎藤道三により土岐氏が追放され、道三が稲葉山城に拠点を移したことにより再び
衰退する。1548年(天文17年)、道三が家督を息子の斎藤義龍に譲ると鷺山城を改修、鷺山城に隠居する。
しかし義龍はこの道三の行動を、家督を義竜の弟(斉藤龍重、斉藤龍定)に譲ると勘違いし、1555年
(弘治元年)、道三を鷺山城から追放する。1556年(弘治2年)には、義龍は道三を攻め滅ぼし、これを
討ち取る(長良川の戦い)。この戦いの後、鷺山城は廃城となる。
現状は、1964年(昭和39年)、東海道新幹線や名神高速道路の建設用土砂の採取の為、鷺山城があった
鷺山の一部は削り取られる。この時、鷺山城の礎石と思われる石が発見された。
一部は削り取られたが、城跡は保存され、土塁、堀等がある。


鷺山(標高68m)(斎藤道三の隠居所)

鷺山を目指す

鷺山城の礎石と思われる石

長良川を挟んで金華山と対峙している

山道入り口

しばらくこうした階段が続く

石垣で整備された山道

この上が頂上(展望東屋もあった)

鷺山城址の石柱

枝を利用した熊の彫刻があった

鷺山城址の説明
(道三は息子の義竜に家督を譲りここに隠居)

鷺山公園へ下りた

鷺山城址方面


鷺山公園を通り抜けて下山した


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