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’11.03.26(土)近鉄てくてくマップ(友歩会親睦ウオーク)
 城下町・津散策コース参加レポート(約9.5km)
(平成23年3月26(土)天気:晴れ  
(詳細版@)(詳細版A)(拡大版)

午前7時00分自宅>JR尾張一宮駅8:12>近鉄名古屋駅8:21発>津駅9:24>偕楽公園>四天王寺>安濃川・欅並木>
旧町名石碑>津観音(五重塔)2km>寒松院・(詳細版Aへ)>岩田川>阿漕塚>結城神社(しだれ梅)5.5km(昼食)>
伊勢街道>真教寺(閻魔大王座像)>津城跡(お城公園)>津新町駅(9.5km)>名古屋・尾張一宮駅>帰宅 
  (今日の歩数:27,483歩) 

コースマップ(PDF参照) 主な見所解説  Web検索欄


近鉄名古屋8:21発 津9:24着002  9:29

津駅近くの偕楽公園に寄る   9:41

三重県庁前を通って四天王寺へ向かう009 10:02

聖徳太子縁の四天王寺本堂015   10:08

旧山門内の梵鐘(説明)017 10:09

四天王寺山門020 10:15 Top

国道23号線の欅並木022 10:26

旧町名石碑024 10:37   Top

津観音山門026 10:39

津観音本堂029 10:40

五重塔(三重県下唯一)030 10:41

この日、温度計は10度を切っていた035 10:45

人影がない商店街036 10:54   Top

寒松院藤堂家墓地の標柱(説明)0537 11:07

高虎の墓041 11:08

寒松院043 11:11 久居氏と藤堂家の菩提寺

主な見所                   Topへ
立派な山門が建つ聖徳太子ゆかりの四天王寺境内には、芭蕉翁文塚や信長生母の墓が。
ケヤキ並木の国道沿いから商店街を通り津観音へ向かう。
コース中盤あたりの住宅街の一角に、浄瑠璃などでも演じられる阿漕の平次を供養する阿漕塚がある。
梅園が有名な結城神社までくるとコースも残り半分。(ここで昼食)
伊勢街道筋の雰囲気が漂う町並みの先に、閻魔大王坐像を安置する真教寺閻魔堂が見えてくる。
再び国道沿いを歩いて、ゴール近くの津城跡に到着する。



津城跡(Wikipedia)         Topへ
概要
津城は三重県津市丸之内にあり、津市街の中心部に位置する。北は安濃川、南は岩田川に挟まれ、これらを天然の大外堀
としていた。江戸時代初期に築城の名手・藤堂高虎により近代城郭として大改修され津藩の藩庁となった。
江戸期の津城は中央に内堀で囲まれた本丸と、それに付属して東丸・西丸があり、本丸・東・西丸を取り囲んで二の丸が
配された輪郭式の平城であった。
現在の城跡は「お城公園、お城西公園」として整備されている。また、その他の城址には津市役所や裁判所、津警察署
などが建ち並んでいる。
 沿革
]現在の津市の古称は安濃津(あのつ)であり、平安時代より伊勢国政治経済の中心地となっていた。
鎌倉時代は藤原南家の流れの工藤氏を祖とする長野氏が支配していた。
津城の起源は戦国時代の永禄年間(1558年 - 1569年)に、長野氏の一族の細野藤敦が安濃・岩田の両河川の三角州に
小規模な安濃津城を構えたことに始まる。
永禄11年(1568年)織田信長の伊勢侵攻により織田掃部頭(津田一安)が入城。翌年には織田信包が入城した。信包は
城郭を拡充し、石垣を普請し堀を巡らせて、本丸・二の丸・三の丸を整備した。天正5年(1577年)には5重天守と小天守
を落成した。
豊臣氏の時代になると、文禄3年(1594年)信包は秀吉の命により丹波国柏原へ移され、翌年、豊臣氏家臣の富田一白が
5万石(6万石とも)を与えられ入城した。知高の子、信高は慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで東軍につき、西軍方の
毛利秀元・長宗我部盛親軍3万の軍勢に城を攻撃された。迎える信高軍は1,300人と劣勢であったため苦戦を余儀なくさ
れ、城内の建造物の大半を焼失した。奮戦の末、木食上人の調停により開城となった。しかし、この奮戦により戦後、
江戸幕府より2万石の加増を受けた。
慶長13年(1608年)信高は伊予宇和島藩に移封となり、代わって伊予今治藩より藤堂高虎が伊勢・伊賀22万石をもって
入城した。高虎は城の大改修に着手し輪郭式の城郭に変貌させ、城下町を整備した。以後、明治維新まで藤堂氏の居城
となった。 
大坂の役の功により元和元年(1615年)と元和3年(1617年)に5万石ずつの加増を受け、藤堂氏は32万3,000石の大大名
となった。
なお、天守は関ヶ原の戦いで焼失し再建されなかったとされる。しかし、近年の研究では寛永年間(1624年 - 1643年)
に描かれた絵図に三重天守と二重小天守が描かれており、これは富田氏が再建したと思われる。
そして、その天守は寛文2年(1662年)の火災で焼失し、幕府への遠慮から再建されなかったと考えられている。
津は江戸期を通じて伊勢神宮参拝の宿場町として栄え「伊勢は津でもつ津は伊勢でもつ、尾張名古屋は城でもつ」と
伊勢音頭に謡われた。
明治4年(1871年)廃藩置県により廃城となり、以後、建造物は破却された。その後、「お城公園」として整備され、
昭和33年(1958年)に隅櫓が復元された。 現在城跡には藩校有造館の正門の入徳門が移築現存している。

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