’10.04.05 姫路城見学ツアー参加レポート
(平成22年4月5日(月)天気:晴れ)  詳細版拡大版

@コース:(青春18切符 姫路城見学ツアー)
午前5時10分自宅発>鵜飼宅>JR一宮駅6:15集合(青春18切符)6:28発>姫路駅10:17>徒歩10分>姫路城・好古園
>元町>明石>JR一宮駅>帰宅
 (今日の歩数:21877歩) 姫路城の概要 好古園散策

参考ホームページ:
姫路城の達人神戸市異人館神戸市須磨離宮公園青春18キップ姫路城wikipedia白亜の要塞姫路城


姫路城の遠望@017 10:46

姫路城の遠望A020(1601年池田輝正築城)

正面登閣口11:07 021

天守の庭から望む姫路城@031 11:10

天守の庭から望む姫路城A 032 11:10

天守の庭から望む姫路城B036 11:10(拡大)

天守の庭から望む姫路城C046(拡大)

姫路城登閣の階段に咲く桜も満開だ049 11:22

左右で大きさ・荒さが違う石垣(右秀吉時代)055

いの門056(いろは・・・と26ある)に向かう城道11:45

曲がりくねった城道は守備に適している058

はの門から低くなっている(敵の兜対策)064

水一門065(火災予防を祈念して付けられた)12:00

水二門 066(水5門まである)12:01

カビやコケの為石垣の上下で色が違っているt067

木造姫路城の骨格1/20模型  096  12:46

石落とし(槍や鉄砲で敵を落とす窓、別名袋狭間)
天守閣をはじめ殆どの櫓や主要な土塀に設けられ
ている。 12:03  071

天守閣の心柱(直径94cm長さ34mの東西2本檜柱)
が外観5層(内部地上6階地下1階)の天守閣を支え
ている76 12:11   076

登りと下りの階段があるのは姫路城だけ079 12:16

ガラスケースに入っている本物の火縄銃080

天守閣はこの梁で支えられている 081 12:19

天守閣を支える梁 094  12:41

天守閣から見た姫路市内083 12:30

天守閣から見た姫路駅方面090 12:35

天守閣から見た姫路駅方面092 12:35

赤煉瓦の建物は明治時代の陸軍の建物093

姫路城と城下町の構成模型101 12:50

この日は大勢の見物客で賑わった118 13:10

晴天の姫路城(天守の庭から)122(拡大)

西の丸から見た姫路城@126(拡大)

西の丸から見た姫路城A127(拡大128)

西の丸から見た姫路城B155

西の丸から見た姫路城C130(拡大)

参加者の皆さんと(西の丸にて)132 13:21

姫路城の遠望(出口付近)@134(拡大)

姫路城の遠望(出口付近)A143

満開の桜(出口付近)B145

満開の桜と姫路城(出口付近)151C
昼食後好古園を散策した。 (概説はこちら)          Topへ

活水軒(軽食・喫茶が楽しめる)南側の大滝163

御屋敷の庭(姫山原生林借景の池泉回遊式庭園)164

この大池には250匹の錦鯉がいる170(拡大171)

姫山原生林を借景とした池泉回遊式庭園172

築山池泉の庭(モミジやクロマツなどが映える日本庭園176)

松の庭(瀬戸内地方の赤松林をイメージ)183

姫路城wikipedia参照    (好古園概説はこちら)       Topへ

姫路城概要 (wikipediaから抜粋)

姫路城は、現在の姫路市街の北側にある姫山および鷺山に築かれた平山城である。
日本における近世城郭の代表的な遺構である。
この歴史は中世に赤松氏が姫山に城を築いたことから始まる(異説もある)。
戦国時代後期には羽柴秀吉が居城し、江戸時代には姫路藩の藩庁として最初は池田氏、のち本多氏や
酒井氏などの譜代大名が入城した。明治時代には陸軍の兵営地となり、歩兵第十連隊が駐屯していた。
この際に多くの建物が取り壊されたが、大小天守群、櫓群が当時の陸軍省の働きかけによって名古屋城
とともに国費によって保存される処置がとられ、太平洋戦争においては空襲に見舞われたものの、天守閣
最上階に落ちた焼夷弾が不発弾となるという幸運もあり奇跡的に焼失を免れた。
現在では天守を始め多くの建造物が現存し、うち大天守、小天守、渡櫓等8棟が国宝、74棟の各種建造物
(櫓・渡櫓27棟、門15棟、塀32棟)が重要文化財に指定されている。
また1993年(平成5年)、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されている。
現存天守は、江戸時代以前に建造された天守が現存する日本国内12箇所の城の一つであり、いわゆる
「国宝四城」(通例、国宝指定の天守を持つ城のことを指し、姫路城・松本城・彦根城・犬山城をいう)
の一つでもある。
江戸時代や戦国時代を舞台とした時代劇を始めとして映画などのロケが行われることも多く、江戸城など
他の城の代わりとして撮影されている。
歴史・沿革 [一部抜粋]
姫路城の築城者は南北朝時代・1346年(南朝:正平元年、北朝:貞和2年)の赤松貞範とする説が有力で
あり、『姫路城史』や姫路市ではこの説を採っている。一方で赤松氏時代は砦と呼ぶべき小規模なもので
「城」と呼べる規模の構築物としては、16世紀に播州平野に割拠した小寺氏の被官である黒田重隆が築城
したのが最初であるという異説もある。
山陽道上の交通の要所・姫路に置かれた姫路城には黒田氏や羽柴秀吉(豊臣秀吉)が城主として入り、江
戸時代には池田輝政によって今日見られる天守等が築かれた。輝政およびその子・孫以降は親藩松平氏や
譜代大名が配置され、さらに西国の外様大名監視のために西国探題が設置された。

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