伊豆大島三原山お鉢巡り参加レポート
(平成22年2月23日(火)・24日(水)天気:晴れ)・ツアー参加
A24日:三原山お鉢巡り&十国峠編(今日の歩数:22,666歩)
(★十国峠の説明他)(★三原山の説明)
@(富士山と熱海梅園・河津桜&大島椿編)A(三原山お鉢巡り&十国峠編) B拡大版 C鵜飼さんの拡大版
三原山展望所(24日)8:11 0255 |
お鉢巡りの同行者の皆さん8:27 0265 |
荒涼とした砂漠地帯8:33 0269 |
溶岩(右遠方は外輪山)8:41 0273 top |
山頂付近の三原神社8:42 0274 |
山頂火口付近8:56 0284 top |
水蒸気の噴煙@(火口付近) 8:59 0290 |
水蒸気の噴煙A 9:00 292 top |
山頂には白雪が残っていた9:01 297 top |
コースは砂利道だがよく整備されていた9:04 304 |
火口@ 9:10 308 |
火口A 9:11 ★309(拡大) top |
火口B 9:11 ★310(拡大) |
火口C 9:11 ★311(拡大) top |
火口D 9:11 ★312(拡大) |
火口E 9:11 ★313(拡大) top |
再び周回コースへ314 |
火口展望台(正面)を目差す 9:24 320 top |
溶岩(やや風化している) 9:25 321 top |
正面三原神社方面、右は火口見学道9:26 322 |
展望台から見た火口付近 9:27 326 top |
展望台を後にして火口見学道へ向かう9:32 328 |
見学道から見た火口 9:37 332 |
一面の溶岩地帯 9:41 340 top |
溶岩 9:42 342 |
三原神社 9:46 345 top |
円筒形の避難所が数カ所あった9:50 349 top |
展望広場 10:21(★広場〜三原山)364 |
24日大島の岡田港に入港するジェット船112 11:21 |
★東海汽船が運営しているジェット船 114 11:23 |
熱海港からバスで十国峠へ 十国峠のケーブルカー線路(中央ですれ違う) |
十国峠は標高764m(富士山が展望できる) top 十国峠は標高764m |
駐車場方面の眺望125(霞んでよく見えなかった) |
十国峠頂上の旅と交通安全の「お願い地蔵」129 |
三原山について(wikipediaから) ★Top (構造) 外輪山の直径は2,500-3,200 mで山腹には数多くの側火山が存在し、火山壁の高さは600-700 mである。 また、火口の中央付近には1950年から翌年にかけて噴火で生じた三原新山とよばれる火口丘がある。 溶岩原は砂漠と呼ばれ、山の北東の泉津地区に広がる溶岩原は裏砂漠、その下方のものは奥山砂漠と 呼ばれる。 (歴史) 約2万年前から現在まで、100年ないし200年毎に合計百数十回の大噴火が起きたと考えられている。 古くから島民は噴火と火山をそれぞれ御神火、御神火様と呼び、敬ってきた[1]古代の火山活動について は、六国史などに記述があるが、伊豆諸島の中で三原山の噴火と断定できるものはない。 島内の元町地区にある薬師堂の祈祷札には、天文21年9月19日(1552年10月17日)に「御原ヨリ神火」が 出たという記録がある。近世の大噴火としては、天和4年(1684年)から元禄3年(1690年)にかけての 噴火と安永6年(1777年)の噴火が挙げられ、どちらも溶岩が火口壁を越えて流出するほどで、御救米が 下されたという。 近年では1950年から翌年の噴火と1986年(昭和61年)11月21日の大噴火が有名である。 前者では新たに三原新山ができて、火口の北東に位置し標高754mでそれまで最高峰だった剣ガ峰を抜いた。 後者では全島の約1万人の島民が避難し、翌12月19日から23日まで島を離れている。 この時東海汽船は、全ての定期航路を運休させて全船舶を大島に向かわせ、避難民を輸送した。 (既に出港していた船も大島に引き返したという) 火口周辺は立ち入り禁止だったが、1996年(平成8年)11月10日に解除された。 |
★十国峠ケーブルカー(ホームページから引用) <十国峠とは> 火が峰、日が峰、日金、丸山と呼ばれてきた山の一部で、何よりもこの名を高くしているのは、360度の 視界をもつ広い展望です。昔から絵筆をもって、この展望を画こうと試みた人達も多かったようですが、 この広さと美しさに歯が立たなかったと伝えられています。 頂上からは十国五島が展望できるところから、この名がうまれました。 <十国五島とは> 伊豆・駿河・遠江・甲斐・信濃・武蔵・上総・下総・安房・相模の十ケ国と 大島・三宅島・利島・新島・神津島の五島です。 |