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2010.11.21(日) 美濃路ウオーク参加レポート(詳細拡大
  (平成22年11月21日(日)天気:晴れ)  Am8:30〜14:00

コース:自宅7:55(MTB利用)→尾西歴史民俗資料館(起宿)8:40→萩原宿稲葉宿清須宿(清洲城)
清須市みずとぴあ庄内(ゴール)14:00>JR枇杷島駅14:39→一宮駅→バス起→帰宅16:00頃
  今日の合計歩数(52,982歩)


美濃路マップ美濃路のおもな史跡


史跡冨田一里塚(左・西塚)005  8:42
美濃路で唯一道の両側に塚が残っている。

史跡冨田一里塚(右・東塚) 006 8:42
東側が朽ちている為倒壊防御が施されている。

美濃路の黄葉 mino007

孝子佐吾平遭難遺跡mnj006(拡大解説

地蔵菩薩 013

馬頭観音(1763宝暦13年建立) 014

萩原宿問屋場跡 t016 2日交代で人馬の継位
業務を行った。上問屋は鵜飼家、下問屋は木全家

美濃路萩原宿本陣跡(森権左衛門世襲) t018
寛永年間、新田開発につとめた。

2010.5.23萩原商店街ちんどんまつりが行われた
美濃路は正面から右へクランクしている 011

天満山 正瑞寺本堂 010  5.23
正瑞寺前には高札場があった。

天満山 正瑞寺 mino014

萩原商店街の旧家 015 9:13

萩原商店街の蔵022 10:15

稲沢市長束梅公園030 10:48(拡大説明

中央:長束正家邸祉碑mino038  11:00
秀吉5奉行の1人、長束村出身と伝える。

岐阜(鮎鮨)街道と美濃路追分の碑mino40 11:25
岐阜街道は約26km、尾張藩が支配した。

長光寺山門044  11:29

長光寺六角堂(尾張6地蔵の1つ)mino046

北市場美濃路公園mino050 11:33

清洲城西門mino057 12:04

清洲城mino058

清洲城mino064 12:17

名古屋駅方面mino071 13:46

ゴールのみずとぴあ庄内mino073

ゴールにてmino075 13:48

ゴール受付会場で記念品をもらうmino76 13:51
美濃路マップ   (Web美濃路参照)   Topへ
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美濃路のおもな史跡(@〜E)〜尾張編約29.5km〜  Top

@【起宿】(美濃路)(Wikipedia)
(人柱観音・定渡船場跡・宮河戸跡・船橋跡・本陣及び問屋場跡・脇本陣跡)
〜駒塚道道標・冨田一里塚跡・天神の渡し跡・孝子佐吾平の碑・萩原橋〜
木曽川の起渡船場のある宿場町。水陸交通の拠点として賑わった。天保14年の起宿は、10町6間
(1,102m)本陣1(加藤家)脇本陣1(林家)、家数887軒、人口4,094人、問屋場2(加藤家永田家)。
 木曽川は川幅500間余(909m)、江戸初期の将軍家や朝鮮通信使の通行時の架橋は270艘以上
 の船を繋いだもので、日本最大の規模。(寄船・助郷制度)
A【萩原宿】(美濃路)(Wikipedia)
(本陣・問屋場跡)〜高木一里塚跡・中嶋宮・長隆寺〜
天保14年の萩原宿は、8町36間(938m)本陣1(森家)脇本陣1(森家)、家数236軒、人口1,002人、
  問屋場2(鵜飼・木全家)。萩原商店街として今日まで存続している。
B【稲葉宿】(美濃路)(Wikipedia)
(禅源寺・問屋場跡・津島道道標・本陣跡・稲葉一里塚跡)
〜国府宮・長束正家邸跡・四ツ家追分・丹羽盤桓子出生地・長光寺(四ツ家追分道標・
・六角堂・臥松水)・浅野長勝宅跡・亀翁寺・総見院〜
天保14年の稲葉宿は、8町21間(911m)本陣1(原家)脇本陣1(吉田家)、家数336軒、人口1,572人
、問屋場3(原・伊東家、1問屋場2日交代)。街道から少し北にある禅源寺には将軍家光
  が宿泊し、朝鮮通信使(洪世泰)が書いた「禅源寺」の扁額や琉球使節副使の西平親方
  が書いた漢詩が残されている。  Top
C【清須宿】(美濃路)(Wikipedia)
(本陣跡・清涼寺・清洲城跡)
〜五条橋・元須ヶ口一里塚道標・須ヶ口一里塚跡・新川橋橋詰ポケットパーク・瑞正寺宝塔・
・屋根神様・西枇杷島問屋記念館・枇杷島橋・清音寺・屋根神様・尾州茶屋跡・
白山神社・大木戸跡・江川一里塚跡・名古屋城・五条橋・四間道・屋根神様・伝馬橋〜
天保14年の清須宿は、本陣1(旧林家)脇本陣3(櫛田家、2軒は不明)、家数521軒、人口
  2,545人、問屋場1。清涼寺の鐘、神明町両側の旅籠屋・茶屋・置屋・料理屋などが軒を
  並べていた。清須宿は当初清洲城下の伝馬町に設けられたが慶長15年の清須越で廃止
  され、続く洪水で流失し元和2年桑名町に置かれた。寛文8年の火災で神明町に移った。
D【名古屋宿】(美濃路)(Wikipedia)
(辻の札)〜大須観音・西別院・東別院・古渡城跡・佐屋道標・熱田神宮一の鳥居跡・
・断夫山古墳・源頼朝生誕地(誓願寺)・白鳥御陵道標・熱田神宮・上知我麻神社〜
天保14年の名古屋宿は、尾張藩の城下町で宿高はなく、「伝馬役4ヵ町」で宿役(伝馬役)
  を勤めた。家数1,157軒、人口4,188人、旅籠・本陣・脇本陣はない。貴顕の休泊には藩
  の指示に従った。一般の人馬継立は伝馬番(会)所(渡辺→吉田)(伝馬町筋本町通西南
  角)で他の宿と同様に行った。
E【宮(熱田)宿】(東海道)(Wikipedia)
(裁断橋・姥堂・ほうろく地蔵・美濃路道標・赤本陣跡・西浜御殿・七里の渡し跡・常夜燈・
・丹羽家住宅)
宮宿は熱田宿ともいい、江戸時代には桑名宿への海上七里の渡し場で美濃路と佐屋路へ
  の分岐点でもあり、東海道随一の宿場でした。天保14年の宮宿は、本陣2(神戸町の
  赤本陣(正本陣)は南部家、伝馬町の白本陣は森田家)脇本陣1、家数2,924軒、人口
  10,342人、問屋場1。東海道筋は東の築出町から伝馬町を西進突き当たりの源太夫社
  を南下、渡船場まで約1.2km。高札場のあった上知我麻神社(源太夫社・現神宮境内内)
  から北へ約2.8km美濃路の町並(市場町)が続いていた。

F墨俣G大垣H垂井は、ここをクリックしてください。  Top


熱田神宮の各ホームページ等参照 (また拡大版内散策マップ参照)(解説)
熱田神宮(wikipedia)熱田神宮動画熱田神宮YouTube熱田神宮(動画) Top
東海道(wikipedia) 健康ウオーキング東海道53次 東海道一人旅
美濃路のおもな史跡(下記解説参照)美濃路(wikipedia)美濃路1美濃路
美濃路探策Network2010美濃路(動画あり)

一宮市観光協会ホームページ 一宮市ホームページ 尾西歴史民俗資料館
稲沢市観光協会清須市清須市観光協会名古屋市名古屋市観光情報
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2010春の美濃路バス探訪(2010.5.23尾西歴民主催)

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