友歩会例会史跡巡りPart3 ★笠松★羽島★拡大版
 (平成22年3月27日(土)・笠松9.4(土)・羽島9.18(土)笠松羽島・10.2(土))

★笠松町 ★笠松デジタルウオーキング(pdf) ★笠松町デジタルマップ参照(pdf)
★羽島市観光協会 ★羽島市 ★美濃路マップ(主な史跡と解説:wikipedia)

★別院内蓮台寺塔礎石解説★佐吉大仏★本覚寺絵天井★美濃竹鼻まちなみルートマップ
★明倫堂(永照寺本堂)解説★竹鼻別院のフジ(鵜飼さん撮影2010.5.1)★円空像★円空関係マップ
★コースマップのPDF ★美濃竹鼻まつりの山車 ★甚水防除碑 ★美濃路宿場一覧 ★笠松湊

笠松湊(川灯台)★Top
別院内蓮台寺塔礎石解説khw327001   ★Top
甚水防除碑   ★Top
佐吉大仏khw327002            ★Top
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本覚寺絵天井khw327112    ★Top
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一宮市のNさんからメールでいただきました。(2010.3.31)   ★Top
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美濃竹鼻まちなみルートマップ                           ★Top
明倫堂(永照寺本堂)解説khw327eisyouji     ★Top

竹鼻別院のフジ(鵜飼さん撮影2010.5.1メールから)   ★Topへ
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円空像(上中町長間の薬師寺付近)      ★Topへ
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円空関係マップ                         ★Topへ
★コースマップのPDF
美濃竹鼻まつりの山車        ★Topへ
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美濃路マップ   (★Web美濃路参照)   ★Topへ
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美濃路宿場一覧(1〜6、尾張編参照)    ★Topへ 
1.宮宿 (愛知県名古屋市熱田区)
2.名古屋宿 (愛知県名古屋市中区)
3.清須宿 (愛知県清須市)
4.稲葉宿 (愛知県稲沢市)
5.萩原宿 (愛知県一宮市)
6.起宿 (愛知県一宮市)

美濃路とおもな史跡(�@〜�E)尾張編(約29.5km)〜 及び美濃編(約28km)(�F〜�H) (美濃路<中山道垂井宿〜東海道宮の宿>約57.5km) (全長十四里二十四町十五間(約57.5km)、慶長5年家康が関ヶ原の戦いから凱旋の帰路、この道を通って帰ったことから  「お悦び街道」とも呼ばれている)
◎�@【起宿】(美濃路)(Wikipedia)              ★Topへ
起宿(おこしじゅく)は、美濃路の宿場である。現在の愛知県一宮市(旧尾西市)にある。
木曽川沿いにあり尾張国と美濃国の境にあたる。木曽川に設けられた起渡船場は、上の定渡船場、中の宮河戸、
下の船橋河戸の3ヶ所の渡し船が設置されていた。船橋河戸には、将軍上洛時と朝鮮通信使が通る時に、270隻の
船を使用した長さ約800mの船橋が架けられた。
(人柱観音・定渡船場跡・宮河戸跡・船橋跡・本陣及び問屋場跡・脇本陣跡)
〜駒塚道道標・冨田一里塚跡・天神の渡し跡・孝子佐吾平の碑・萩原橋〜
◎�A【萩原宿】(美濃路)(Wikipedia)
萩原宿(はぎわらじゅく)は、美濃路の宿場である。現在の愛知県一宮市萩原町にある。
日光川の東に位置する。美濃路の宿場では最も小規模である。
現在の一宮市萩原町は宿場としての建物は少なく、商店街になっている。商店街は昭和30〜40年代のレトロな感じ
がある。毎年5月には萩原宿チンドン祭りが行なわれる。

(本陣・問屋場跡)〜高木一里塚跡・中嶋宮・長隆寺〜
◎�B【稲葉宿】(美濃路)(Wikipedia)
稲葉宿(いなばじゅく)は、美濃路の宿場である。現在の愛知県稲沢市にある。
初めは稲葉村だけであったが、後に小沢村が加宿となった。ちなみに現在の稲沢市は稲葉村と小沢村の合併による
もので、市の名称はこの2村の名を1字ずつとったものである。本陣跡と問屋場跡に石碑が建つのみだが、古い町並み
がよく残っている。
清須城主・織田信雄が、小牧・長久手の戦いの前に造らせたのが、この街道の起源とされる。
明治2年(1869年)の稲葉騒動では、この宿場への打ちこわしから始まり、やがて西尾張全域に拡大していった。
近代から昭和にかけても、稲沢銀行や稲沢電気が置かれるなど市の商業地区として賑わいをみせた。
現在では、老舗の多い商店街として、メディアにたびたび紹介されている。
(禅源寺・問屋場跡・津島道道標・本陣跡・稲葉一里塚跡)
〜国府宮・長束正家邸跡・四ツ家追分・丹羽盤桓子出生地・長光寺(四ツ家追分道標・
・六角堂・臥松水)・浅野長勝宅跡・亀翁寺・総見院〜

◎�C【清須宿】(美濃路)(Wikipedia)
清須宿(きよすじゅく)は、美濃路の宿場である。現在の愛知県清須市にある。
清洲城の城下町であったが、いわゆる清洲越しによって町ごと名古屋城下に移転して、いったん清須の町はさびれた。
しかし、慶長7年(1602年)に美濃路の宿駅となって町は宿場町として再生した。
史跡・みどころ 
清凉寺
門前は高札が立ち、札の辻と呼ばれた。
本陣跡
将軍上洛、朝鮮通信使、お茶壺道中、そして明治天皇の休泊所となった。
清洲城文化広場
清洲城は慶長15年(1610年)に廃城となった。現在の天守閣は、清洲町の町政100周年記念事業として再建されたもの
で、正式には「ふれあい郷土館」。入場料 大人300円 小人150円。

稲葉宿までの史跡・みどころ
「北市場 美濃路公園」
長光寺
地蔵堂(六角堂)は、国の重要文化財。境内に、四ツ家追分にあった道標が移設されている。
盤桓子誕生地
四ツ家追分
美濃路と岐阜街道との追分。現在は稲沢市による石碑が建つ。
七曲縄手
国府宮神社一ノ鳥居
(本陣跡・清涼寺・清洲城跡)
〜五条橋・元須ヶ口一里塚道標・須ヶ口一里塚跡・新川橋橋詰ポケットパーク・瑞正寺宝塔・
・屋根神様・西枇杷島問屋記念館・枇杷島橋・清音寺・屋根神様・尾州茶屋跡・
白山神社・大木戸跡・江川一里塚跡・名古屋城・五条橋・四間道・屋根神様・伝馬橋〜
◎�D【名古屋宿】(美濃路)(Wikipedia)
名古屋宿(なごやじゅく)は、美濃路の宿場である。現在の愛知県名古屋市中区にあった。
尾張藩の城下町で、慶長18年(1613年)に宿駅となって、伝馬会所や御触書を掲げる高札場も置かれたが、
本陣や脇本陣はなかった。
また寛文5年(1665年)には飛脚会所も置かれている。美濃路の他に、勝川・内津・土岐・釜戸などを経て
中山道槙ヶ根追分へと至る下街道など、交通の要衝でもあった。
現在ではビル街となっており、往時の様相は残されていない。
(辻の札)〜大須観音・西別院・東別院・古渡城跡・佐屋道標・熱田神宮一の鳥居跡・
・断夫山古墳・源頼朝生誕地(誓願寺)・白鳥御陵道標・熱田神宮・上知我麻神社〜
◎�E【宮(熱田)宿】(東海道)(Wikipedia)
宮宿(みやじゅく、宮の宿、熱田宿)は、東海道五十三次の41番目の宿場。中山道垂井宿にいたる脇街道美濃路や佐屋街道
との分岐点でもあった。一般には宮の宿と呼ばれることが多かったが、幕府や尾張藩の公文書では熱田宿と書かれている。
場所は現在の愛知県名古屋市熱田区にあたる。東海道でも最大の宿場であり、天保14年には本陣2軒、脇本陣1軒、旅籠屋は
248軒を擁し、家数2924軒、人口10,342人を数えたという。
古くからの熱田神宮の門前町、港町でもあり、尾張藩により名古屋城下、岐阜と並び町奉行の管轄地とされた。
桑名宿とは東海道唯一の海路である七里の渡しで結ばれていた。現在も、折りにふれて宮〜桑名間を遊覧船で渡る現代版
「七里の渡し」が行われる。
江戸時代中期以降は四日市宿へ直接渡る航路(十里の渡し)もよく利用された。
裁断橋・姥堂・ほうろく地蔵・美濃路道標・赤本陣跡・西浜御殿・七里の渡し跡・常夜燈・
・時の鐘櫓・丹羽家住宅)

以上、尾張編(起〜宮宿) 以下は美濃編(墨俣〜垂井)


◎�F.墨俣宿 (岐阜県大垣市)(以下、★美濃路Wikipedia参照)     ★Topへ 
墨俣宿(すのまたじゅく)は、美濃路の宿場である。現在の岐阜県大垣市墨俣地域自治区(旧安八郡墨俣町)にある。
墨俣は、美濃路が設定される以前より、古くから宿場町として栄えていた。
室町時代迄の鎌倉街道(京〜鎌倉)の宿場町は大垣市墨俣町上宿付近にあり、美濃路の設定時に大垣市墨俣町墨俣付近
に移設された。
揖斐川と長良川に挟まれており、重要な宿場であった。長良川には墨俣の渡しという渡し船があった。
近くには豊臣秀吉ゆかりの墨俣城(墨俣一夜城)がある。

◎�G.大垣宿 (岐阜県大垣市)
大垣宿(おおがきじゅく)は、美濃路の宿場である。現在の岐阜県大垣市にある。
大垣宿は大垣藩の大垣城城下町でもある。このように宿場町であり城下町である場所は加納宿等がある。
大垣宿は西口〜東口までの長さは約2.9km、京口門(西総門)〜名古屋口門(東総門)までの長さは約1.1kmあり、大規模
な宿場町であった。京口門と名古屋口門は有事の場合、大垣城の7箇所の門と同時に閉鎖される仕組みであった。
現在の大垣市の地名でいうと、伝馬町〜本町〜竹島町〜俵町〜船町〜久瀬川町が該当する。
大垣市はかつての大垣宿の歴史・文化を利用した景観まちづくりを策定している。

◎�H.垂井宿 (岐阜県垂井町)
垂井宿(たるいじゅく)は中山道57番目の宿場(→中山道六十九次)で、現在は岐阜県不破郡垂井町。
西町・中町・東町の3町に分かれ、本陣は中町にあった。問屋場は3か所あった。
毎月5と9の日に南宮神社鳥居付近で開かれた六斎市は大勢の人で賑わった。
大垣・墨俣などを経由して東海道宮宿とを結ぶ脇往還美濃路との追分で、西美濃の交通の要衝であった。
(1〜6、尾張編参照)  ★Topへ 


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