羽島市内の円空仏たち A (H22年5月12日) @ A

羽島円空資料館(円空年譜)真福寺(大須観音)由来円空(←下記解説へ)
竹鼻まつりのHP(山車)円空ロードの円空仏中観音堂と円空仏@羽島市内の円空仏A(各HP参照)

参考ホームページ:羽島市歴史民俗資料館羽島市
円空(Wikipedia)円空微笑み物語円空WEB北海道の円空仏日本の美荒行の造形 円空仏
高賀と円空記念館中観音堂・羽島円空資料館(羽島市)岐阜新聞WEB円空を訪ねる旅
田舎探訪羽島市(円空)旅紀行円空仏中観音堂の円空仏


真福寺(大須観音) enk5001
(阿弥陀如来座像と聖観音立像は市文化財)

真福寺(大須観音)慶長17年(1612)名古屋へ移転
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真福寺の現代版円空仏@ enk5003

真福寺の現代版円空仏A enk5005

徳林寺(真福寺の西隣)の現代版円空仏
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徳林寺の円空仏「不動明王座像」は市文化財
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金宝禅寺(円空仏の「如来座像」は市文化財)
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金宝寺はこの地を治めていた八神城主毛利氏の
菩提寺。東へ800m程に八神城跡あり enk5028

かんぽの宿の円空仏 enk5034

かんぽの宿の円空仏 enk5035

かんぽの宿のレプリカ 護法神像enk5t039

新幹線羽島駅から見た巨大円空モニュメントenk5t042

羽島市円空顕彰会の寄贈により建立材質は
ブビンガー(モデルは護法神像)高さ8m enk5043

羽島市民会館の壁画(福寿町浅平)
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足近町3丁目交差点の円空象(高さ4.8m、8トン)
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足近町3丁目交差点の円空象 モデルは護法神像
(材質はアフリカ原産:ブビンガー)enk5t053
★(参考)羽島円空資料館(円空年譜)からTop
羽島市の概要 Top


〔人口〕 
・世帯数・・・19,920 
・人口総数・・66,323人
・人口密度・・1,231人/1キロ平方メートル

〔気象〕
・年平均気温・・・・・・15.2度
・最高気温・・・・・・・35.0度
・最低気温・・・・・・・−5.0度
・年間降水量・・・・・・1,691.5cm

〔位置〕 
羽島市は、県の西南部に位置し、東は木曽川を境と
して愛知県に接し、北は岐阜市、羽島郡、西は長良川
を隔てて海津郡・安八郡に接し、南は木曽・長良川の
併流をなすV字形に囲まれています。 
市内全域が海抜5mの平坦地帯であります。

・面積・・・・・・53.64キロ平方メートル
・平均海抜・・・・5.42m

〔市章〕 
昭和29年(1954)8月1日に制定された市章は
竹ヶ鼻城主の紋所と羽島市の「羽」を図案化したもの
で、円満な市政を象徴したものです。
市の木(かいずかいぶき)
市の花(美濃菊)


以下羽島市歴史民俗資料館学習資料 から抜粋しています    Top
格子戸のある町並み
竹鼻祭りと山車
永田佐吉
津島神社と出征兵士
円空
レンコンづくり
博物館一覧(岐阜) Top
円空(生涯の概要・左記年譜参照)Topへ 寛永九年(1632年)〜元禄八年(1695年) 貧農の父親のいない子として育てられる。 十九歳の時、母を木曽川の大洪水で失い寺に預 けられ, 高田精舎での密教修行の後、23歳で 伊吹山の修験場平等岩に篭る。 寛文3年(1663)下山した円空は岐阜県美並村 に赴く。 その地の神明神社に天照皇太神像を残す。 最初期の像である 寛文5年(1665)頃に30歳代半ばで越前から 海路津軽に行き、蝦夷地(北海道)に渡る。 生涯に12万体の造仏を祈願し諸国を遊行。 六十四歳で入定(即身成仏)し生涯を終えた。                Topへ
真福寺(大須観音)由来                                      Topへ
円空(解説)
(朝日日本歴史人物事典から抜粋)     Top
生年:寛永9(1632) 没年:元禄8.7.15(1695.8.24) 
江戸初期の僧,遊行して数多くの木彫仏を残す。美濃国竹ケ鼻(岐阜県羽島市)生まれ。伊吹山や園城寺の行場
である大峯山で修行をしたのち,遊行の僧として全国を行脚した。寛文4(1664)年ごろまで美濃地方で造像し,
蝦夷地,東北,北陸地方に多くの仏像を残す。
大胆にのみの痕を留めた特異な作風は「円空仏」と通称され,丸木の原材を割った縦の直線を生かした素朴で
荒彫りの彫り方は,一般的な仏像と異なり迫力を感じさせる。
その作風から木地師の出身だとされる。遊行しながら12万体を彫る大願を立てたと伝えられ,5000体余が発見
されている。主に東日本に作品が残されているが,出身地に近いこともあり,岐阜,愛知両県には特に多い。
竜泉寺(名古屋市守山区)の「馬頭観音像」,荒子観音寺(同市中川区)の「木端仏」などは,円空仏の特徴をよく
伝える像である。また,円空は山岳に住みそこで残した仏像も多く,仏像で庶民を済度したことから,窟上人,
今釈迦といわれた。 


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