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友歩会第55回・史跡巡り岐阜編P8・下下見&下見&例会レポート

美濃路・大垣宿&大垣市散策(例会・平成27年4月4日晴れ・今日の歩数:27,855歩)
(下下見:平成26年11月11日(火)天気:晴れ)(今日の歩数:29,524歩) 
4月4日の桜バージョンはこちらです。
(下見:平成27年2月21日(土)天気:晴れ)(今日の歩数:26,444歩)

@午前9時JR大垣駅集合・9:10出発>愛宕神社・岐阜町道標・水門川沿いに南下>平和橋・掘り抜き井戸発祥の地>
栗屋公園(自噴)>大垣城大手門跡>大垣城東総門跡(名古屋口門跡)>美濃路大垣宿脇本陣跡>大垣城大手門跡>
本町道標>大垣宿問屋場跡>大垣宿本陣跡>飯沼慾斎邸跡>大垣城西総門跡(京口門跡)>船町道標>住吉灯台と
船町港跡>奥の細道むすびの地&記念館>全昌寺>水門川>円通寺>大垣城東門>大垣公園(昼食)>俵町薬木広場>
水門川・貝殻橋・総合福祉会館>運河沿い>西公園(休憩)>大垣・一宮線>美濃路街道・塩田の常夜灯>杭瀬川遡上>
笹木公園>笠縫の里碑>北公園>大垣駅>解散 (コースマップ参照)

 大垣城東惣門跡(名古屋口門跡))は、平成24年の美濃路ウオークのHPを参考にしてください。

羽島〜垂井・美濃路ウオーキング(平成21年10月31日)(参照)美濃路マップ(下記参照)
美濃路探策(HP)大垣市大垣市観光協会大垣市街図全員集合(大垣公園)
2012.11.24美濃路探訪(写真の中には2012.11.24のHPのものがあります。)


JR大垣駅集合001

大垣駅前の受付開場ok55001(4.4)

水門川の起点・愛宕神社006(川は湧水が流れている)

岐阜町道標010

四季の路・水色が水門川(右:北)(ミニ奥の細道)011

栗屋公園の自噴水015

こんにゃく屋文七と掘抜井戸発祥の地019

貴船神社前の水門川020

美濃路大垣宿マップ(赤線:美濃路)021 (コースマップ参照)

美濃路・大垣城東総門跡(名古屋口御門跡)023

大垣宿本町道標026

大垣宿問屋場跡027

美濃路の大垣宿問屋場跡w102

本町道標(左江戸道 右京道)104

明治天皇御座所跡030

大垣宿本陣跡 033

大垣宿本陣跡ok55015(開館土日祝10-15不定期)(4.4)

大垣宿本陣跡(上段の間)ok55016(4.4)

美濃路大垣宿脇本陣跡t105

高札場跡107
高札場は、幕府からの禁制や通達を掲示する場所で、明治6年
(1873年)に廃止された。 (コースマップ参照)

大垣宿解説(wikipedia)
大垣宿(おおがきじゅく)は、美濃路の宿場である。現在の岐阜県
大垣市にある。
 大垣宿は大垣藩の大垣城城下町でもある。このように宿場町であり
城下町である場所は加納宿等がある。
 大垣宿は西口〜東口までの長さは約2.9km、京口門(西総門)〜
名古屋口門(東総門)までの長さは約1.1kmあり、大規模な宿場町
であった。京口門と名古屋口門は有事の場合、大垣城の7箇所の門と
同時に閉鎖される仕組みであった。
 現在の大垣市の地名でいうと、伝馬町〜本町〜竹島町〜俵町〜船町
〜久瀬川町が該当する。
 大垣市はかつての大垣宿の歴史・文化を利用した景観まちづくり
を策定している。

田中屋煎餅総本家ok55010(4.4)

柿羊羹の老舗ok55022(4.4)

美濃路にある柿羊羹の老舗095(Web参照

俵町薬木広場037

江戸の植物学者
飯沼慾斎邸跡094
(Wikipedia)
飯沼 慾斎
(いいぬま よくさい)
天明2年6月10日
(1782年7月19日)
 - 慶応元年閏5月5日
(1865年6月27日))
は、江戸時代の医家で
本草学者。
「リンネ」の植物分類法
を最初に採用した草木図
説を出版した。
伊勢国亀山(現三重県)
出身。

飯沼慾斎像(背後は俵町薬木広場)036
(コースマップ参照)

四季の広場(左:虹の橋)040

美濃路に面した大垣城西総門跡の碑(京口御門跡)042

美濃路の船町道標(左 江戸道 右 京みち)044

住吉公園の紅葉047

舟運に利用された商船ok55034(4月4日)

満開の桜(水門川)ok55042(4月4日)

住吉灯台050

住吉灯台052

芭蕉像(奥は木因像)057

たらい船の船着き場058

水門川の舟下りok55057(4月4日)

舟下りok55067(4月4日)

奥の細道むすびの地記念館(芭蕉生誕370年祭開催中)149

全昌寺(木戸孝允等と維新の画策をした小原鉄心の墓がある)154
水門川の歴史

w074

水門川は、大垣市から南流し揖斐川に合流する運河で、永禄4年
(1561)大垣城主氏家直元が、城池改築のとき開堀したと伝えられ
る。
江戸時代におよび大垣十万石藩主戸田氏鉄により改修され、この
地方に集散する貨客の水運は産業の振興とともに発展し、大垣と
桑名・三河間の物資や人の輸送に大変な賑わいを見せていた。
又、文化の興隆に大きく貢献した。当時は多量の自噴水が水門川
に注ぎ、清らかな流れを見せアユ、ハエなど清流魚が泳ぎ回り、久
しい歴史の中に庶民生活と結びつき、広く親しまれ育まれてきた。
なお、この川は、大垣城の外堀として幾多の攻防の歴史に秘めら
れた物語も多く、沿線一帯には今もなお奥の細道結びの碑、住吉
灯台など歴史や文化財が多く残され、水と緑の調和の中に、詩情
豊かな潤いのある風情をたたえている。


右の写真「谷木因俳句道標」(貞享年間1684〜1688建立)には、
「南いせ くわな 十りさいごうみち」とある。

(2012年のHPから引用)
(コースマップ参照)

芭蕉の友人、谷木因俳句道標080

水門川における”たらい船”案内(2012年のHPから引用)081

たらい船が賑わっていた090

曹洞宗 全昌寺 086

小原鉄心等小原家の墓(全昌寺内)084

全昌寺内にある小原鉄心の墓の説明w083

円通寺山門ok55085(4.4)

初代藩主・戸田氏鉄公の墓所ok55091(4.4)

戸田家藩主の墓所ok55093(4.4)

八幡神社の湧水ok55097(飲料水)(4.4)

大垣市郷土資料館の庭園164

大垣城・城郭模型(郷土資料館内)167

郷土資料館内・戸田氏鉄公166

晩秋の大垣城と入城する戸田氏鉄公(2014.11.11)086

晩春の大垣城と入城する戸田氏鉄公(2014.5.18)173

大垣城083

大垣城082

明治29年と大洪水の石柱181

明治29年大洪水の水位を示す184

大垣城から鵜沼宿に移された鉄門跡187

大垣城本丸の城郭図188

氏鉄公騎馬像前で全員集合ok55125(右2人はガイドさん)(4月4日)

大垣城・桜・氏鉄公ok55130(4月4日)

西公園で休憩091

芭蕉・木因遺跡093

杭瀬川101

塩田の常夜灯(杭瀬川沿い)103

杭瀬川堤防の桜の巨木ok55144(4.4)

杭瀬川の満開の桜の巨木ok55145(4.4)

杭瀬川堤防の桜の巨木(11.11)106

笠木公園113

くすの木(笠木公園)t114

黄葉(笠木公園)t115

笠縫堤の桜ok55150(4.4)

笠縫堤の桜ok55152(4.4)

笠縫の里の碑118  (コースマップ参照)

大垣駅北側の広場で解散式126
大垣市街図  (コースマップ参照) Topへ
美濃路大垣宿案内 Topへ


大垣宿本陣跡の札には次のようにある。
「本陣は、宿場のほぼ中央に位置し、お大名や宮家・公家・幕府役人などの貴人が利用した休泊施設である。
 大垣宿本陣は、永禄の頃沼波玄古秀実が竹島町を開き、はじめて本陣を創立したと伝えられる。以後、本陣役は、宝暦五年(一七五五年)
には玉屋岡田藤兵衛が勤め、天保十四年(一八四三年)には、飯沼定九郎が問屋を兼ねて勤めた」

「明治天皇行在所跡明治11年(1878)10月22日明治天皇は、東海・北陸御巡幸の帰途、美濃路大垣宿の旧本陣飯沼武右衛門邸に泊まられた。
 飯沼邸は往還に沿って南面し、主屋には上段の間・下段次の間・家老の間・台所等の諸室が配され、なかでも明治天皇が泊まられた
『上段の間』は、奥庭に面した書院造りの大変風格のある8畳間であった」(Web参照)
東総門(名古屋口門)説明tomw110 Topへ
全員集合(大垣公園) (平成27年4月4日第55回友歩会例会)    Topへ
戸田氏鉄公騎馬像と大垣城(2014.5.18)Topへ
戸田氏鉄公騎馬像と大垣城(2014.11.11)Topへ
(2012年のHP参照) 
以下の資料や画像は、2009年(平成19年10.31)の時のもの(羽島「大垣」→垂井)です。(参照)     Topへ

美濃路
 「美濃路とは、中山道垂井宿から、大垣・墨俣・起・萩原・稲場・清須・名古屋の7宿を経て、東海道宮宿(熱田)
 へと続く全長14里24町(約58km)余りの街道。中山道に付属する脇街道として幕府の道中奉行の支配下に
 置かれた道です。佐渡川(揖斐川)・墨俣川(長良川)・境川(小熊川)・起川(木曽川)に渡し場が設けられ、
 将軍や朝鮮通信使などの通行の際には、いくつもの船をつなげて作られた「船橋」が架けられた。
 美濃路の原型は鎌倉街道と考えられており、又、関ヶ原の合戦において、徳川家康が凱旋した道でもあること
 から、江戸時代には「御吉例街道」とも呼ばれた。
 美濃路は東海道の鈴鹿峠や伊勢湾を渡る「七里の渡し」のような難所が比較的少ないため、朝鮮通信使
 琉球使節などの外国使節、象などの珍獣、権威を誇った大名行列や御茶壷行列などの特殊な通行が頻繁に
 行われる道となっていった。」
(2014.11.9の中日新聞では、記憶遺産申請へ連携強化として、江戸時代の外交使節団、朝鮮通信使に関する
記録を国連教育科学文化機関(ユネスコ)の記憶遺産に登録させようとして、大垣市や彦根市など通信使に縁
のある自治体や民間団体でつくる「朝鮮通信使縁地連絡協議会」が2014年11月8日埼玉県川越市で総会
を開いた。2016年の日韓両国による共同申請を目指し、連携強化を確認した。総会には、通信使の宿泊地
など国内16自治体が出席。記憶遺産の申請対象となる文書や絵巻物を文化財などから選び、例年2月まで
に国内候補の一次リストを作成。朝鮮通信使は幕府の将軍就任などの際に計12回、日本を訪れており、
友好関係維持や文化交流に役割を果たした。)

H.垂井宿 (岐阜県垂井町) 垂井宿(たるいじゅく)は中山道57番目の宿場(→中山道六十九次)で、現在は岐阜県不破郡垂井町。 西町・中町・東町の3町に分かれ、本陣は中町にあった。問屋場は3か所あった。 毎月5と9の日に南宮神社鳥居付近で開かれた六斎市は大勢の人で賑わった。 大垣・墨俣などを経由して東海道宮宿とを結ぶ脇往還美濃路との追分で、西美濃の交通の要衝であった。
G.大垣宿 (岐阜県大垣市) 大垣宿(おおがきじゅく)は、美濃路の宿場である。現在の岐阜県大垣市にある。 大垣宿は大垣藩の大垣城城下町でもある。このように宿場町であり城下町である場所は加納宿等がある。 大垣宿は西口〜東口までの長さは約2.9km、京口門(西総門)〜名古屋口門(東総門)までの長さは約1.1kmあり、 大規模な宿場町であった。京口門と名古屋口門は有事の場合、大垣城の7箇所の門と同時に閉鎖される仕組みで あった。現在の大垣市の地名でいうと、伝馬町〜本町〜竹島町〜俵町〜船町〜久瀬川町が該当する。 大垣市はかつての大垣宿の歴史・文化を利用した景観まちづくりを策定している。
F.墨俣宿 (岐阜県大垣市)(以下、美濃路Wikipedia参照)   Topへ 墨俣宿(すのまたじゅく)は、美濃路の宿場である。現在の岐阜県大垣市墨俣地域自治区(旧安八郡墨俣町)にある。 墨俣は、美濃路が設定される以前より、古くから宿場町として栄えていた。 室町時代迄の鎌倉街道(京〜鎌倉)の宿場町は大垣市墨俣町上宿付近にあり、美濃路の設定時に大垣市墨俣町墨俣付近 に移設された。 揖斐川と長良川に挟まれており、重要な宿場であった。長良川には墨俣の渡しという渡し船があった。 近くには豊臣秀吉ゆかりの墨俣城(墨俣一夜城)がある。   Topへ
美濃路マップ   (Web美濃路参照)  (鎌倉街道参照) Topへ

垂井〜大垣=10.5km

大垣〜墨俣=8.0km

墨俣〜起=9.7km

起〜萩原=3.9km

萩原〜稲葉=5.9km

稲場〜清洲=5.9km

清洲〜名古屋=7.9km

名古屋〜宮宿=5.9km

     合計57.7km


以下の画像は、2009年
(平成21年10.31)の時のもの
(羽島「大垣」→垂井)です。
(参照)
     Topへ

大垣、三塚の一里塚跡 066
(美濃路には13ヶ所の一里塚が設けられた。)
美濃路マップ

大垣宿  068 別名「水都」とも呼ばれ木曽三川
による水運と陸上交通の発達で城下町、宿場町
として発展。芭蕉をはじめ多くの旅人が往来した。

本町道標(左江戸道 右京道)  072
往時の美濃路が偲ばれる。

大垣宿本陣跡(明治天皇行在所跡) 076
(現在は竹島会館)

船町道標(左江戸道 右京道) 081
往時の美濃路が偲ばれる。

船町港の住吉灯台(運河の水門川沿) 087
県指定史跡で大垣のシンボル

奥の細道結びの地石標 092
松尾芭蕉(1644〜1694)ゆかりの水門川船町港跡や
奥の細道結びの地記念館などがある。

塩田の木製常夜灯 100
杭瀬川にかかる塩田橋の西側にある。ここに塩田港
があった。船附、赤坂と三大港の1つ。


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